ヒカルの実力

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  コミック『ヒカルの碁』(原作ほったゆみ・漫画 小畑健)の主人公ヒカルの実力
  と棋風についての考察です。

  

1.実力

【仮定するモデル】

[全般] ・置石1子はコミにして約12目(互先での白のハンデは約6目ゆえ) [アマ] ・アマの段位は、置石1子が約1段差 ・院生になるにはアマ5〜6段が必要(石倉昇『ヒカルの碁勝利学』より) 段位と実力の関係はいろいろ問題があるみたいですがとりあえずこうします。 おおまかにアマ初段は「プロ」に約9子というが、その「プロ」は6段強と 仮定する(日本のプロ棋士の段位の平均は6.18段)。 【1998年3月号 NHK囲碁講座テキスト「白江治彦七段の手筋・ヘボ筋」より】では、 |4級:基本定石を使えるようになる。    → プロに星目(9子)で打てる。 とあるが、ほったさんがアマ初段で梅澤プロに9子とのことで「ヒカ碁世界」 での設定とは異なるであろう。 [プロ] 以下の記述での「現在」は2003年初めの時点のことを指しています。その後、日本 棋院では大手合が廃止され、昇段規定は棋戦の成績や獲得賞金に連動したシステム に変更されました。 ・プロの段位は、置石1子が約3段差、互先コミなしの白の勝率は1/4(《註》参照) ・プロのn段とは「n段への昇段規定をクリアしたことがあるが、 未だn+1段への昇段規定をクリアしたことがない人」 ・仮に、ゆっくり実力をつけてn段への昇段規定をクリアした直後の棋士の実力を 「n段相当」と定義する[n=1〜9](これはここだけの定義です)。 8段以下の棋士は、大手合に参加するため、平均値としての段位と実力の乖離は 一定以上にはすすまない。ただし分散は大きく、個々人をとってみると、極端に 段位より弱い人が存在することを妨げない。逆に強い若手の場合、入段後の大手 合対局数が足らず、実力に段位が追いつかないこともある。 ・初段(一般枠からの入段者)は、最低3段以上の実力があり、その実力に見合う 段位に昇段するまで毎年1段程度のペースで昇段し、そこで段位が安定する。 一般枠入段試験の仕組みからして、本当に初段の実力しかない人は合格できない (この推定は初段棋士のリストをみても妥当である。ここ1〜2年の入段者か 一般枠以外と思われる人しかいない)。 倉田さんが7段なのは入段して6年しか経っていないだけのことで、7段という 段位は実力とは関係ありません - (追記)新昇段規定では三大タイトル戦のリーグ 入り経験があれば7段です。 週刊碁2002年5月20日号の薫鉉インタヴュー中の記述では日本の新初段の平均 は「トップに2子」という。我々は「トップ」を「リーグ戦棋士」と仮定する。 これでも新初段シリーズの逆コミ5目半は新初段に厳しい(実際の新初段シリーズ は、置石1子をコミ10目として、2目半のハンデを1番手直りで調整するシステム) ・9段は、より上位への昇段規定がなく、大手合を卒業するため、実際の実力の ばらつきが大きくなる。おそらく9段のうち「9段相当」の実力のある棋士は 半分以下ではないか?(段位と実際の実力は大きく乖離)。 ・以上のことから、おおまかにしろ「n段相当」がプロn段在籍者の実力の平均に 対応するのは、プロ4段〜8段の間と思われ、その上下では大きな偏りがある。 以下「相当段位」は正確に3段差1子とみなす(大手合制度に裏付けられている)。 ・タイトル戦のリーグに参加するレベルの棋士(以下、リーグ戦棋士と呼ぶ)は 「9段相当」よりも、さらに1段分強いと仮定[完全な当てずっぽう] (「9段相当」に対して互先で2勝1敗ペースで勝てる) ・棋聖・名人・本因坊のいずれかのタイトルの保持者(以下、タイトル棋士と呼ぶ)は、 リーグ戦棋士よりも、さらに0.5段分強いと仮定[完全な当てずっぽう] (リーグ戦棋士に対して互先で3勝2敗ペースで勝てる) ・塔矢行洋・藤原佐為は、タイトル棋士よりも、さらに0.5段分強いと仮定 [完全な当てずっぽう] (タイトル棋士に対して互先で3勝2敗ペースで勝てる)

《註》

・置石1子が約3段差、互先コミなしの白の勝率は1/4 段位制は江戸時代には置石1子が2段差でしたが、その後3段差に改められ ました。大手合に根拠をおく現在の制度は昭和戦前に村島五段が創案した点 数制によっており、正確には初段と9段(8段差)の手合いは3子(ハンデとし ては置石2.5子にあたる)となります。勝負分に点数がついており、互角の相手 との対局が続けば平均60点を維持できるように配慮されています。この制度 において、互先の白番勝ちは105点、負けは45点とされていることから、互先 コミなしの白の勝率が1/4(2割5分)と想定されていたことがわかります。 ・本当に互先コミなしの白の勝率は1/4か? 一般に勝負事では「標準偏差逓減の法則」とでもいうべき傾向(S.J.グールド 『フルハウス 生命の変容 四割打者の絶滅と進化の逆説』(早川書房,1998) 参照)があります。これを囲碁の言葉で言えば、レベルが上がると同じハンデ に対する勝率が偏るようになる - といえます。大手合の点数は半世紀以上前 に定められたものであり、現在は競技のレベルも変わっているでしょう。実際 には、この勝率は測定して確定すべきものです。 ・段位のインフレーション 大手合点数制ができた当時は棋士は初段〜8段であり、9段の棋士はいなかっ た。つまり点数制の設計思想からすると棋士の平均段位は4.5段であるべきと いうことになる。棋聖戦が創設された1976年には日本棋院・関西棋院あわせて 320人の棋士がいてその平均段位は5.26段、そして現在は442人の棋士がいてそ の平均段位は6.18段である。このように制度の創設当時からすると約2段弱、 段位がインフレーションを起こしていることがわかる。今回のプロの実力モデル で「9段相当」よりも2段分強いレベルまで設定しなければならなかったのには、 このような事情がある。

【実力の評価】

・1998年12月(ヒカル小学校6年の冬)時点 アキラ - 「プロ3段相当」(プロ試験合格可能な実力−父に3子) ヒカル - 碁を覚える。↓参考 【1998年3月号 NHK囲碁講座テキスト「白江治彦七段の手筋・ヘボ筋」より】 24級:アタリが分かり、連続と切断の判別ができる。 ・1999年8月(ヒカル中学1年生の夏休み)時点 ヒカル - アマ初段(この時点ではまだ筒井と同じ位) 筒井(初段と推定)には夏休み明け早々の互先の対局で勝っている(5巻P63,76) 平八 - アマ5段 - マサさんの指摘により修正 夏休み明け早々の互先の対局でヒカルに勝っている。 20巻P59でプロになったヒカルが「じいちゃんに50目差をつけて 勝つぞ」とあり、これを基準にすればプロに五子(4.5×12=54) つまりアマ5段 ・1999年12月(ヒカル中学1年生で院生受験)時点 ヒカル - アマ5段(院生試験にぎりぎり合格可能な実力) 海王副将 - アマ5段(岸本がヒカルの実力を副将と同じくらいと評価) [海王中の設定からして副将が大将と2段差あるとは思えない] 海王大将 - アマ6段(岸本自身、岸本の先代も多分同じくらい) [岸本が院生時代ほとんど2組に在籍していたことと整合] 加賀 - アマ5段(ヒカル三面打ちで6目半勝ち、対等の条件ならいい勝負) 三谷 - アマ4段(ヒカル三面打ちで6目半負け、加賀と約1段差[13目]) 三面打ちが行われたのは12月の院生試験(1月度から院生)の直前である(「12月 の院生試験? ああ 今度の日曜にあるけどあれはもう申し込み〆切っちゃったよ」 (第5巻P.140))。 阿古田 - アマ3〜4段(三谷の直前にヒカルに負けている(5巻P101)) 筒井 - アマ初段(ヒカルが2子置かせて勝てるようになって(5巻P94)、 *しばらくして* ヒカルが互先で三谷に勝てるようになった(5巻P105)。 三谷と3段差) [筒井は「*しばらくして*」の解釈によってはもう少し強いかもしれない、 相手のポカがあったとはいえ海王の副将に勝っているので有段者には違いない。 ほったさんが初段とのことで、自分より強い人を「弱い」とは書かないだろう という推定で、変更しました。2002-07-12] 金子 - アマ初段に近い級位者(三谷に4子くらい(7巻P139)) アキラ - 「プロ7段相当」(←1998年12月,2000年8月,2001年10月からの内挿) 新初段シリーズで座間王座に先番5目半コミもらいで、いい勝負 だったことに整合。1次予選と2次予選の間をウロウロしている (6巻P59)芦原4段に1勝2敗ペース(6巻P58)というのでは、弱す ぎて辻褄があわない。むしろ逆。 ・2000年5月(若獅子戦)時点 村上2段 - 「プロ2段相当」(佐為の「院生と変わらない」との評価より) ヒカル - プロ2級程度(級位があったとして〜盤面1目負けは大健闘) ・2000年8月(ヒカル中学2年生の夏休み)時点 アキラ - 「プロ8〜9段相当」(父との手合いが2子から定先に改まる8巻P181) ヒカル - 「プロ2段相当」(よって実際は洪秀英に2子で妥当と思われる) 曽我さん - アマ6段(プロに2子で勝ったこと*も*ある道玄坂マスターも同じ) 河合さん - アマ5段(曽我さんよりも1子弱い) [河合さんがヒカルに3子の手合い(=ハンデは2.5子)] 実際はこの時点でヒカルが洪秀英に勝ったのは出来過ぎということになる ・2000年10月末(プロ試験終了)時点 伊角 - 「プロ6段相当」 同年5月の若獅子戦で2回戦敗退、プロ試験でも本田に破れており、実力は高 く見積もっても「プロ6段相当」が妥当と見られる(反則負けがなければ、プロ 試験は本田戦の1敗のみのはずであり、単純計算では本田より2.5段強い)。 「あの時の進藤を相手にオレは勝つ自信がない 秀英ほどにも打てたかどうか」 (第82局(10巻P.74)という自己評価も推定を支持する。 ヒカル - 「プロ5段相当」(越智と同じくらいかまたは若干追い越している) 越智 - 「プロ5段相当」(新初段シリーズは上手が緩めてくれた?) 和谷 - 「プロ4段相当」(本田6敗、和谷3敗 - 敗戦数が半分故1段強い) 本田 - 「プロ3段相当」(プロ試験合格の下限閾値の実力) ・2001年1月(ヒカル中学2年生の冬 - 倉田との一色碁)時点 ヒカル - 「プロ7段相当」 (2000年10月、2001年5月から内挿) 倉田に先番コミなしで挑み、善戦するも中押し負け(実力通りの結果) ・2001年5月(ヒカル中学3年生の春)時点 ヒカル - 「プロ9段相当」〜リーグ戦棋士 (2001年5月〜10月の期間の成長は鈍いと思われる為) 対局後の周平の感想(第128局(15巻P.156))「いずれ囲碁界はアイツを中心に回り 始めるじゃろ」が大げさでないなら、この時点でこのくらいの強さが必要。 (菊池康郎氏の戦績からしてアマ日本代表ならプロ3〜4段くらいの実力がある) sai vs toya koyo のエピソードからすると、何局かに1局は佐為に勝てるよう になっていないとおかしい。よって、佐為を無敗で退場させるには、この時点が 限界。「最近ヒカルが急に強くなった」という意見があるが、2000年10月末から この時点まで6ヶ月以上あり、その間毎晩佐為と打っていたことを考えれば、強 くなる時間は十分あったことになる。 ・2001年5〜6月(伊角の中国棋院訪問)時点 楊海 - 「プロ9段相当」〜リーグ戦棋士 楽平 - 「プロ5段相当」 楊海は、伊角が楽平に負けたと聞いて、伊角と2子で打ってみた。おそらく楽平 は楊海に2子の手合いだったのであろう。ちなみに対伊角2子局の結果は書かれ ていない。 伊角 - 「プロ8段相当」(6段→9段と一気に3段分強くなる途中) 楊海は、楽平の人生を左右する対局を設定するにあたり、伊角が楽平に勝利する ことを疑っていなかった。3段差(勝率9割)くらいの実力差を感じていなければ、 このようなことはしない。精神的に強くなって一気に置石1子(3段)分強くなっ たということか?不自然に思われる。 ・2001年7月(ヒカル中学3年生の夏)時点 伊角 - 「プロ9段相当」 ヒカルとほぼ互角。 ・2001年10月(ヒカル中学3年生の秋)時点 アキラ - リーグ戦棋士(1年間で1段分ほど強くなっている) ヒカル - リーグ戦棋士(アキラとほぼ互角とみられる。ただし序盤の バランス感覚でアキラに一日の長がある。ほったさんは、 現時点でのヒカルの弱点を序盤であると考えているのでは? - 棋風欄参照) ・2002年2月(ヒカル中学3年生の冬 - 伊角新初段シリーズ)時点 伊角 - 「プロ9段相当」 第157局の新初段シリーズで桑原本因坊に黒番盤面1目勝ち故、タイトル棋士に 定先の手合いか。6ヶ月前からの実力の変化はそれほどないとみられる。 門脇 - 「プロ8段相当」 伊角より若干弱いものとしてこのくらいか。「プロ9段相当」なら、ヒカルと の一局はもっと細かくなるとおもわれる。1年半前時点での実力は、彼のここ 一年の精進を評価することにして「プロ6〜7段相当」か。この実力ならアマ 世界チャンピョンも可能で、プロ試験に出ていれば、トップ合格したものと思 われる。当時のヒカル(2000年7月)は「プロ初段相当」と推定され、もし佐為 でなくヒカルが門脇と対局していたなら、まったく歯が立たなかったであろう。 ただ、27歳で「プロ8段相当」だと、将来的にトッププロとしての活躍はき びしいのではないだろうか。門脇さんプロになって本当に良かったんだろうか。 本田 - 「プロ3段相当」 - プロ試験合格の下限の実力。前年と変らず。

【分析と矛盾点】

ヒカルは、 ・1999年8月〜1999年12月の期間(アマ時代)は 平均して1ヶ月に1子 ・1999年12月〜2001年5月の期間(院生〜プロ時代)は平均して3ヶ月に1子 のペースで強くなっている(「毎月1段」という単純なモデルである!)。 ・ただしプロ試験の期間中に一番伸びたとみて、2000年5月〜10月の期間は 上記ペースより約1段強いものとみなす。 ・ほった先生の「1目半」「6目半」は、それぞれ「実力差なし」「実力差定 先」の「記号」か? ・2000年5月時点で、村上2段に6目半負け(盤面1目負け)は、単純計算では ヒカルが村上2段に定先となり、ヒカルは5目ほど想定した実力より強い。 「悪手を好手に化けさせた」好局だったから例外と判断する。 ・2000年8月時点で、洪秀英がヒカルに2子置こうとしたのは、挑発ではなく 冷静で妥当な判断。この時点でヒカルが互先で洪秀英を破ったのは会心の一 局であり「できすぎ」といえる。 アキラは、 ・1999年12月時点で「プロ7段相当」(←1998年12月,2000年8月,2001年10月から の内挿&新初段シリーズでの座間王座戦)。芦原4段に1勝2敗ペースというの では、弱すぎて辻褄があわない(プロ試験で不戦敗の1敗のみでの合格は無理)。 伊角は、 ・2000年10月末時点で「プロ6段相当」。ストーリーとしては「もともと棋力は あったが、精神的なもろさで実力が出せなかった。中国棋院訪問で弱点を克服 した」ということであろうが、それだけで置石1子分も強くなれるか疑問で不 自然。「秀英ほどにも打てたかどうか」という自己評価、プロ試験での本田戦 の敗戦は、ともに技術的なものであり、精神的なもろさとは別問題のはず。 第2回ピカイチキャラコンテスト(第13巻P.28)で圧倒的な支持を得たため、当 初よりも重要なキャラクタとして使用することに予定変更したのかもしれない。

2.棋風

佐為はオールマイティですが、強いて棋風(?)というと、 - 第36局(5巻P.36)の緒方のsai評 |その練達さは長久の歳月をおもわせる! - 第156局(19巻)の門脇の独白 |あのときはもてあそばれた - 第114局(14巻P.23)のアキラのsai評 |相手の手の内を全部読んだ上で碁を自分のものにする手を必ず編み出してくる - 第115局(14巻P.35)のアキラのsai評 |Saiの強さは百戦錬磨の強さだ というように、膨大な対局経験から、囲碁による相手との対話 - いわば手談- に長けている(当たり前のようだが、相手の手にあわせて打ってくる)。これが 「千年」(第62局(8巻P.46)ということばに説得力を持たせている。 そして、その手は往々にして、 - 第115局(14巻P.26)の観戦者のコメント |…気合いの踏み込みだね - 第124局(15巻P.65)の緒方のコメント |右上の…そんなところに打ち込んで逆にオレの大石を…攻め立てる…なんて というように、踏み込んだ手となる。この踏み込みはヒカルにも見られるように なっている。 ヒカルの棋風は、 - 第28局(4巻P.55,58)の佐為の独白 |11の八はおもしろい一手!その発想に続く腕が今のヒカルにないのが惜しいけれど |それでも一手一手からこう打ちたいというヒカルの意志がしっかり伝わってくる |塔矢は私の影ばかり追っていてヒカルの碁が見えていないのです から成長して、発想に続ける腕が備わってきたような棋風。うまい表現がある か探したら、王銘前本因坊が韓国の李世3段を評した「子どもがその まま強くなったような人、自分の打ちたいところに打っている」がぴたりと当 てはまりそう。「自分の打ちたいところに打つ」というのを裏返せば、「相手 の手にあわせた手を打たない」ということになる(もちろん程度の問題であり 必然手の場合は差が出ない、差が出るのは有力な選択肢が多数あるときどの手 を選ぶか - それが棋風)。 それが、 - 第153局(19巻)の御器曽の独白 |腰のすわったじっくりとした碁を打ちやがって… - 第156局(19巻)の門脇の独白 |なかなか反撃の動きを見せん となる。これを佐為との対比で言えば、囲碁によって相手と対話しているので はなく「神」と対話しようとしているのではないか。この違いを敏感に感じて - 第156局(19巻)の門脇の独白 |あの時とは碁から受けるカンジが違う となったのでしょう。子どもの碁なので「強さ」は感じても「千年」とは思わ ないのではないか。 アキラの棋風は、 - 第80局(10巻P.33)のアキラの越智評 |キミは少々地を気にしすぎるんじゃないかな 厚みは攻めに働かせないと… を裏返して、父親と同じく - 第119局(14巻P.129)の倉田の塔矢行洋評 |あの人のバランスの良さってすごいじゃん |行く時は行くけどおさえる時はおさえるし という「バランスの良さ」が特徴の棋風。モデルとされる小林碁聖親子とは 棋風が若干違うといえる(小林碁聖は武宮9段が「地下鉄流」と評したように 目的に向かってまっしぐらにはっきりした意味のある手を打ってくる棋風)。 アキラとヒカルがケンカをするのは、棋風の違いのせいで読み筋があわない からでしょう。だから、149局(19巻)の会話がこんな風になる。 repeat アキラ「無理に...ちゃうだろ」 ヒカル「ああそうか」 ヒカル「でも例えばこう打つとさ...」 アキラ「ナルホド」 endless お互いが成長するために相手を必要としている事がわかるシーンです。

3.来歴・追記

2003-02-21: 今週水曜日のアニメ『ヒカルの碁』第70局は、ほんとうに良かったですね。 本ページの主題とは直接関係ないのですが、書いておきたくなりました。 2003-01-25: 日本棋院の大手合が廃止になりました(こちらの日刊囲碁 #1484,1487)。 ヒカルの棋風・棋力については見直しの必要も感じていますが、 北斗杯終了まで更新しないで静観することとします。 2002-10-07: 第164-6局の、ヒカルvs社戦の元ネタは、 2000年3月19, 26日放送 第30回 新鋭トーナメント戦 決勝 黒 : 高尾紳路 六段 白: 山下敬吾 六段 178手完 白中押し勝ち で、この一局は内容まで踏み込んでストーリーに使われました。 よって、当時の山下六段の実力からみて、評価の変更は不要と判断。 2002-08-27: 第161局で、ヒカルが森下九段に、アキラが緒方十段に破れましたが、 評価の変更は行いません。「かってヨミ。BBS」での情報では、 ヒカルvs森下九段戦の元ネタは、 黒:趙治勲 九段 白:李昌鎬 六段 1993年4月22日 第4回 東洋証券杯 決勝第1局 146手 白中押し勝ち で、投了した103手目(?)では圧倒的な差は付いていない模様とのこと。 2002-07-24: 第157局の結果を反映。 2002-07-19: 1999年末のアキラの棋力を追加しました。 2002-07-18: 段位のインフレーションについてのコメントを追加しました。 2002-07-15: 「棋風」についての章を追加しました。 2002-07-14: 本日 NHK教育テレビで新初段の井山裕太君対張栩NHK杯(本因坊リーグ在籍) の対局が放映されました。新初段の先手コミ5目半もらいでしたが、碁の 内容からすると、新初段(平均)はリーグ戦棋士に2子では厳しいという印 象を受けました。持ち時間の短い碁(10分+秒読み30秒)であったことは考慮 しなければなりませんが。 2002-07-13: Mac OS X の IE で文字化けするとの情報があったので、改訂しました。 「」というのは韓国の国字で、JISではNEC/IBM拡張領域にあるようですね。 この字は三国時代の魏の国姓「曹」をおそれ多いとして一画わざと欠いて 作った字と言われています。さっそく gif データに変更しました。ちょっ とバランスが悪いですが、ご容赦願います。 2002-07-12: 筒井君が強すぎるというコメントが多かったので2段から初段に変えました。 2004-10-12: 平八が弱すぎるというコメントに従い2段から5段に変えました。 切れていたリンクを修正しました。

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