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日本

日本で明治5年12月2日まで使用されていた太陰太陽暦です。

サポート範囲は、推古元年から明治5年です(ただしそれ以後の部分 についても、年号<=>西暦の変換のみは行っています)。

[ 変換 ]

日本
  太陰太陽暦
  太陽暦
  補足
    天保暦置閏法の謎
    天武天皇元年
    戦前の休日の変遷に関するメモ

日付の異同

日本暦日には人為的な変更が多く、暦法をそのままプログラム化するという訳 には行かず、研究者の作った表に頼らざるをえません。本プログラムでは、 『暦の百科事典』[2]巻末付録を元にしています(V2.0a3まで使用していた 『暦』[3]よりも、参照している『日本暦日原典』の版が新しいため- ただし弘仁11年2月については、直接『日本暦日原典』第4版[4]で修正し、 V1.X の時代に戻りました)。

文献[3]と日付に相違があるのは以下の11か所です(「←」は朔を前日に移動、 「→」は朔を翌日に移動)。このうち延暦9年分以降の「→」は、大衍暦の進朔判定 が不明確であるための曖昧性(進朔についてはchina.doc)で、 『日本暦日便覧』[5]では旧バージョンと同じになっています。当時の計算技法 の不確実性、文献資料の信頼性等によりこのような異同はまだ潜在していると 考えておいた方が良いでしょう。

 舒明 13年 (AD641年)  8月 ←
 斉明  7年 (AD661年)  6月 ←
 持統  6年 (AD692年) 11月 ←
 文武  2年 (AD698年) 10月 →
 延暦  9年 (AD790年)  3月 →
 延暦 10年 (AD791年)  5月 →
 大同  2年 (AD807年) 10月 →
 弘仁 元年 (AD810年) 11月 →
 弘仁  9年 (AD818年)  5月 →
 弘仁 14年 (AD823年) 10月 →
 天長  5年 (AD828年)  9月 →

また関東の三島暦では天正10年に閏12月がありますが、京暦では天正11年に閏1月 があり、年初が1か月ずれています[7]。これも京暦に拠りました (1990年NHK「歴史誕生」で話題になりました)。

年号の扱い

改元の日付は三省堂の『コンサイス世界年表』[6]に拠りました。

源平争乱期と南北朝時代については、それぞれ源氏方と平氏方及び南朝と北朝の 年号を表示します(ただし白鹿はサポートしていません)。

南朝の「文中」改元は日付が不明になっていますので仮に4月1日にしてあります。 バージョン2.01から、明徳3年閏10月5日までバージョン1.Xに較べ1日長く「元中」 年号を表示するように変更しました。これは中国暦日表示の原則に合わせたためです。 他の時代にも、京都で次年号に改元後関東等で使用されていた年号があるようですが、 京暦に従いました。

弘文天皇の在位の解釈により天武天皇元年 が1年食い違う史料もありますが(というか弘文天皇は明治になってから認められた 天皇なのでたいていの古文献では1年ずれているはず)、やはりコンサイス世界年表 に従ってAD673年を天武元年としています(指摘してくださったykawazoeさんありがとう ございます)。どうしても日本書紀[8]に合わせたい場合は、whenhv.exe と shoki.rsc を組み合わせて使用してください。

明治以前の改元は「○○XX年を□□元年とする」という形式で行われました(つまり その年の元旦に遡って効力を持つ)から、日記や書簡のような性質の資料を除いて、 改元の日付より前に遡って新年号が記載されることがあります。古文献をチェック する時には配慮が必要です。

V2.01 以後、中国暦日に合わせて天皇諡号を表示できるようにしましたが、代始改元 (独断により代始改元とは即位の翌々年までに行われた改元とみなしています)が ある場合は、改元時に対応する天皇諡号も改めるようにしたため、必ずしも在位期間 とは一致しません。